外出自粛のGWも
あっという間に終わりましたが
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
久しぶりに外に出ると
浦島太郎になった気分です。
さて、令和になって1年。
新元号が発表された1年前の4月1日も
切り替わった5月1日も
今となっては遠い遠い昔のことのよう。
昭和、そして、平成さえも
すでに懐かしいなんて…。
確かに生きていたからこそ
今が夢を見ているようでもあり
今までにはない個のレベルを超えた
いわば強制的で全体的なシフトが
起きているからこそ
自分と向き合いながら生きる毎日は
とてもリアルでもあります。
そして、この1年で令和の「令」が
効いてきていることをますます実感します。
万葉集の和歌からとった「令和」の二文字。
「令」は美しいという意味だと
説明されていましたが
最初にみんなが直感的に受けた
厳しい感じ
それが顕わになってきています。
漢字の基本の意味は
命令や号令の「令」
つまり、オーダーであり
秩序、法則、ルールでもあります。
そのもとに和がある
そのもとに和が成り立つ。
では、何がオーダーであり
ルールなのか
それをちゃんと見つめるようにと
ストップがかかり
見つめる時間を
与えられているようにも思えます。
どんなルールのもとに
個の生命、社会、世界の和が
成り立つのか
どう整えていくのか
意識をクリアにする時です。
この一年、パンデミックに至るまで
危機感や恐れを感じる出来事が
いろいろとありました。
根源的な危機や恐れは
生命存続、そして孤立の2つに
集約されていくかと思います。
私たちの行動の多くは
それらを回避するための努力だった
と言っても過言ではなくないでしょうか。
そのための経済や技術
そのための家族、人間関係。
老いも若きも
お金持ちもそうでない人も
健康な人もそうでない人も
共通の根っこを抱えて生きてきました。
こうした危機感や恐れを令としてきたことに
意識の差はあれ、私たちはもう集合的に
うんざりしているのではないでしょうか。
恐れは不自由で窮屈なものですし
そこに多くのエネルギーが費やされていては
分離されたまま、調和などしないことも
私たちは潜在的に分かっているはず。
恐れはエゴの産物です。
私たちの生命も、それを支える衣食住も
大元はすべて地球という
生きとし生けるものの共通の母から
与えられています。
私たちは、地球に依存せずには
生きられない存在。
だからこそ、その自然の姿を
脅威と捉えて恐れ、
コントロールしよう、克服しようと
文明を生み出してもきました。
でも、それももう限界。
夏の暑さも
地震や台風など自然災害の規模も
満員電車などの過密さも
ピラミッド型の社会システムも
外出自粛以前から
私たちの我慢大会は
すでに始まっていましたし
とうの昔にその限界は超えていました。
ある意味、この現状は
私たちの集合意識が引き寄せた結果とも
言えるように思います。
そんな中、先日お客さまから
新型コロナウィルスからのメッセージを
紹介してもらい、ハッとしました。
それを聞いているうちに
イタリアでは外出禁止になった結果
ヴェネチアの水が透明になり
クラゲやカニなどの水生生物が
戻ってきたと気持ちよさそうに泳ぐ映像を
見たことを思い出したのですが、
私自身も大地に空に海に川に
ガソリンを撒き散らして汚してきた
一人だったのだと
今さらながら気づいたのです。
和を生み出すベースとなる
新しい時代の「令」とは
地球、そして地球が生み出す自然
その法則や秩序を大切にし
尊ぶことだと思いました。
それは、自ら地球に対する愛を
差し出し
そして、当たり前に得てきたことを
少し遠慮して一歩引いて見直すことでも
あると思います。
相田みつをさんの言葉を借りれば
「うばい合えば足らぬ
分け合えばあまる
うばい合えばあらそい
分け合えば安らぎ
うばい合えば不満
分け合えば感謝
うばい合えば戦争
分け合えば平和」。
こうした境地をまずは
物言わぬ地球母さんとの間で
交わすようになると
根源的な不安や恐れも
自然に消え始めます。
あらゆる自然現象の一部として
私たち自身も存在するからです。
そして、こうした認識を誰かと
分かち合うことができるようになれば
安心して自由に繋がったり
距離を置いたりしながら
和を創造することも
楽にできるようになります。