続きを読む
2019年04月17日
不調こそ変容のチャンス
続きを読む
2019年04月13日
健康寿命を延ばす
突然ですが
人の体はいったい何年
生きられるようにできているか
聞いたことはありますか?
アーユルヴェーダでは
120年と言われています。
人生50年と言われた時代もあり
ヒマラヤでは200年、300年、、、
生きているヨガ行者もいる
といった話もありますが
人の体は
心臓の拍動の観点から
120年もつ構造にできているそうです。
しかし、現代社会を生きる私たちは
医療の進歩から
ただ単に長生きすることよりも
健康でないと長生きしても…と
健康寿命を考えるようになりました。
今日は健康寿命に役立つよう
加齢に応じて増えるドーシャについて
お話したいと思います。
※「ドーシャって何?」という方は
先に「季節の対策」を
お読みいただくことをお薦めします。
まず、この世に生まれてから
いわゆる成長期と言われる頃まで
主にカパ(地+水)が増えていきます。
体は自分が口にした食べ物でできており
その食べ物から地元素や水元素を
吸収・結合して
目に見える物質としての肉体が
成長していきます。
生命にとっての滋養は食べ物だけでなく
愛情もカパを養う大切な要素となります。
この時期に養われたものが
次のステージの土台になります。
心臓の観点から
人の寿命は120年と言いましたが
心臓=ハート=心を
大切に養うことが健康寿命にも
大きく影響するのではないでしょうか。
そして、身体的成長が減速するのと
入れ替えに
今度はピッタ(火+水)が
増えていきます。
基本的なものの吸収から
変換・応用していく時期です。
知性が発達し
生産的・社会的活動に
従事していきます。
カパが発達する子供時代に
励ましや愛情を十分に受けて
ハートが養われていると
大人になって自立してからも
自分自身や周りも
勇気づけることができ
個人的にも社会的にも
自分の歩む道を切り開いて
真の成長を
遂げていくことができるでしょう。
そして、最後の老年期には
ヴァータ(風+空)が
増えていきます。
カパ(地+水)
ピッタ(火+水)
ヴァータ(風+空)
と変遷していくのを
見ても分かるように
固体としての肉体は
水分や熱が失われて枯れていく
つまり自然の一部に
帰っていくための
準備段階となります。
少し寂しい感じもしますが
それと引き換えに
共感性や霊性が
豊かに養われていきます。
私たちが大いなるものの
一部であることを理解する
感性を養っていけたなら
執着を手放して肉体を脱ぐ準備を
スムーズに整えていくことが
できるでしょう。
このように、私たちは年齢に応じても
増えるドーシャが変化していきます。
この変化のプロセスを想像することで
私たちが健やかに生きることを
選ぶための大切な観点が
見えてくるのではないでしょうか。
物事が始まって
続いて
終わる中で
どのような点に着目するか
これから何か新しいことを
始めるサイクルにも
応用できるかなと思います。
好奇心いっぱいに愛情深く
基礎をたっぷり吸収して
情熱をもって発展させて
周りにも貢献し
そして、学び終えた時には
潔く次世代へ引き継いで手放し
次のステージへと向かう。
目に見えるもの
見えないものの両方を
大切に育んで行けば
きっと最大限に健やかに
その果実を享受することが
できそうです。
2019年04月06日
カルマは恐い?
『カルマ』は
インドで古代より使われている
サンスクリットの言葉です。
業(ごう)とか輪廻とも訳され、
何だか恐いイメージもありますが、
シンプルに
「原因」
「結果」
「行為」のこと。
日本語でも英語でも
「原因」と「結果」は
別々の単語として区別されますが、
インドの言葉では同じなんですね。
そんなところにも
インドの奥深さが
感じられます。
なぜ同じなのでしょうか?
原因という目に見えないものが
目に見える形となったのが
結果だから。
種として眠った状態で
可能性を宿しているのが
原因。
それに何らかの刺激など
働きかけがあって
芽が出て
葉を広げ
花を咲かせて
実を結んで…
と一連の変化のプロセスがあり
私たちに何らかのインパクトを
与える状態になった時に
結果と呼んでいるわけですね。
原因には結果が含まれ
結果には原因が含まれるので
「本質は一緒」ってこと。
私たちはどうしても
目に見えて分かりやすいもの
=結果に
とらわれてしまいがちですが
目に見えない原因
例えば心や思考、感情、感覚と
いったものにも
ちゃんと意識を向けていくと
カルマという因果関係が紐解けて
スムーズに
物事を運べるようになってきます。
この因果関係が1対1で
シンプルに完結できれば
良いのですが
鶏が先か卵が先かといったように
どっちが原因でどっちが結果か
分からないグルグル状態になると
輪廻とか業になります。
これには、もうひとつ別の意味である
「行為」が大いに絡んできます。
「原因」から生み出された「結果」
その「結果」を今度は「原因」にして
そして新たな「結果」へと
進化させていく要因に
「行為」はなり得るわけです。
だからこそ、このたった一語の
カルマという言葉には
「どんな行為をするにも注意しなさいね」
といった教えが
含まれているような気もします。
「サンスクリット」という言語名自体が
「神の言葉」という意味なのも納得です。
音的にはセイント・スクリプト
=聖なる神のシナリオとも取れます。
話が少しそれましたが
「行為」は原因のすべてではないけれど
原因の一部になり得るもの。
原因の中でも
私たち自身が自分で
コントロールできる種類の原因
という点では
カルマは恐さより
むしろ希望にもなるのでは
ないでしょうか。
自分の思考や行為を変えることが
生み出す結果を変えるなら
試してみる価値がある
そんな小さな一歩を
自分で選択していく人生こそが
慌ただしく移りゆく時代を
自分らしく
しっかりと歩んでいくカギに
なるのではないかなぁと思います。
こうした原因と結果を
双方向から
俯瞰できるようになれば
本質的な気づきや学びも
得やすくなるでしょう。
ひとりで内観する時間を持てれば
素晴らしいこと
そして、時には誰かとシェアすれば
より客観的になれ
学びや気づきが相乗的になり
加速するのも事実です。
アーユルシンフォニーでは
何気ない日常の出来事から
生涯の大事件と言える出来事まで
おしゃべりする中で
思考や感情をスッキリと整理しながら
気づきや変容が起きるような
時間や空間を提供しています。